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機関紙るうてる

るうてる 2013年6月号

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説教「素直に叫ぶ ―主よ、助けてください―」
マタイによる福音書14章22~33節

日本福音ルーテル甲府教会・諏訪教会牧師 市原悠史

イエス様の弟子の中で、ペトロという人がいます。バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂という名前も、彼のことを指しています。これは、イエス様がペトロに教会の権威をお与えになったという聖書の記事に由来するのですが、このようにペトロは弟子たちの中でもリーダーとして立てられている人物なのです。
イエス様の弟子、その中でもリーダーですから、きっと立派な、信仰深い人物であるかのように思ってしまいますが、福音書が伝えるペトロの姿は、私たちが思うような所謂“立派な信仰者”とは少し違います。福音書が伝えるペトロの物語で、個人的に特に印象的なのは、イエス様の弟子になる召命の場面、イエス様のことをメシアであるとはっきり言った場面、それから逮捕され、引かれていったイエス様のことを知らないと言った場面、そして、湖に沈んでしまう場面です。今回は、この湖に沈んでしまう物語から聞きたいと思います。
イエス様に従い、イエス様はメシアであると信仰告白する姿は立派に見えますが、福音書はそれだけではなく、ペトロの弱さも伝えているのです。普通なら私たちは、自分の弱さや負い目を人に伝えていこうとはしません。むしろそれを隠そうとしたり、言い訳したり正当化したりして、認めようとしません。人に知られたくないのです。ですが聖書は、弟子のリーダーの弱さを、信仰者のモデルの負い目を伝えているのです。それは、この弱さを持った人間の姿こそ、信仰者の本当の姿であるからです。私たちが抱く立派な信仰者の姿、「こうありたい」と思うあり方は、波も風も恐れず、水の上をただ信じて歩いてイエス様のところまで真っ直ぐ進むような姿ではないでしょうか。確かにそのような方は立派ですし、実際におられたら心から尊敬します。できれば私もそうありたいですし、そうなるために努力したいと思います。ですが、私たちは誰もがそのように強いわけではないのです。私たちの信仰の現実とは、強い風や波に襲われるとすぐに沈んでしまうようなものなのです。
イエス様に近づきたい、「来なさい」と招いて下さり、歩けるようにしてくださったイエス様の呼びかけに応えて立派に歩んでいきたい、導きを信じて堂々と歩みたい、誰もがそのような思いを抱くでしょう。ですが、実際に歩みだしてから気がつくのは、自分は不安定な水の上を歩いていること、自分の周りでは今までと変わらず強い風が吹き続けているということです。ついさっきまで自分が前に進むことを邪魔していた風や波は、イエス様に呼ばれた後も全然止んでいないし、むしろさっきよりも危険な場所に立たされているということに気がつくのです。そのことに気づいたとき、私たちは沈んでしまうのです。私たちがイエス様を求める思いは、暗く、深い湖の中に沈んでしまうのです。
私たちの信仰を、私たちごと湖に沈めてしまう風や波は、本当に様々な仕方で襲ってきます。大きな災害であるときもありますし、人間関係や、争いや、病気や、孤独…本当に、「何故だ」と思うような仕方で、私たちを襲います。ですが、そのように沈んだときが、私たちの信仰の歩みの終わりではないのです。湖に沈んだペトロをイエス様が引き上げてくださったように、私たちが沈んだときも、イエス様は近づいてきて私たちの手を掴み、引き上げてくださるのです。
ペトロは沈みながら叫びました。「主よ、助けてください」と。彼は、自分の力で立とうとせず、でも諦めてしまうこともせず、もがきながら叫ぶのです。「主よ、助けてください」と。この箇所が伝える信仰者の姿とは、このような姿です。立派に水の上を歩ききってみせる強さではなく、沈みながら、もがきながら、みっともない姿かもしれませんが、それでも助けを叫ぶ、そのような姿なのです。私たちが信じるのは、イエス様の呼びかけと、イエス様が私たちの手をしっかりと掴んでくださる、あるいは今まさに掴んでくださっているということなのです。沈まない信仰よりも、助けてくださることを信じて叫ぶことが大切なのです。
私たちは沈みます。どこかで必ず。ですがイエス様はそのような私たちの手を掴み、「なぜ疑ったのか、でも、もう大丈夫だ。安心しなさい、恐れることはない」と、語りかけてくださるのです。そして私たちをより深い信仰告白へと導いてくださるのです。
これを読んでくださっている皆さんの手には、既にいくつもイエス様に掴まれた跡があるかもしれません。これからつく方もおられるでしょう。私たちの信仰の弱さの証であるように見えるその跡こそ、イエス様が私たちと共にいてくださっていることの証拠です。イエス様は、私たちの弱さを知っておられます。その弱さに働きかけてくださいます。安心して行きましょう。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(13)

ルター研究所所長 鈴木浩

パウロ、アウグスティヌス、ルターが人間の罪に拘ったのは、「罪を犯さないことができない」という「罪の不可避性」こそが、人間が抱えている最大の問題だと見抜いていたからである。
この場合、「罪」とは、あれこれの悪事のことである以上に、あれこれの悪事を引き起こす「人間の根源的あり方」を指している。
ルターは、ほとんど病的なほどに自分の罪深さを感じ、罪人を罰する神の義(正義)を恐れた。突然、それまでの学びを放棄し、修道院に駆け込んだのは、その恐れが理由であった。
すでに指摘したように、その「神の義」の理解の逆転が……「罪人を裁く神の正義」から、「神が罪人に与えてくださるキリストの義」への転換が突破口であった。それは、「天動説から地動説への転換に比すべき、革命的転回点であった。
ルターはこの突破口を突き進んだ。そこから、中世神学の徹底的再点検を行ったのだ。だから、「一点突破全面展開」なのだ。そこから、ルターの神学が成立していった。
それは、徹底して「恵みのみ、信仰のみ」の神学であった。

東教区50年記念大会 50年目の出会い・交わり・新しい旅立ち
676名の参加者が三鷹に集う!

五月晴れに恵まれた5月4日、記念大会は挙行されました。会場前の広場に午前10時、力強い民族打楽器の小太鼓の音が響き渡り開会を知らせます。次いで、浅野実行委員長が高らかに開会を宣言。記念大会がスタート。
10時から13時の時間帯は、人との出会い、語り合い、学びあうことを目的に、多様なプログラムが用意されました。参加者は各自の興味のあるイベントに三々五々出席しました。
まずは、ルーテルの良さを味わい体験しようというのがねらいです。集会の部、「フェスタゾーン」では多彩なプログラム。宣教の部では、「ルーテルの学び」や、シンポジウム「東教区の過去・現在・未来」、「あつまれ!こどもたち。次世代プログラム」。そして、五チーム参加の「コンサート」。さらに、プロ屋台による昼食コーナー、大盛況、満席でした。
●感動・感激・感謝のひと時
50年目の出会いと喜びと交わり、東教区の歴史が主に導かれたことに感謝を篤くし、将来を神さまにゆだね、福音宣教ができることを感謝しました。
●授かった神の祝福を次の50年に伝える旅に出発
頂点となる、午後の「派遣聖餐礼拝」では、「みことば」と「祈り」、「希望のメッセージ」、聖餐と祝福にあずかりました。イエス・キリストが私たちと共にいてくださることを喜び、感謝し、授かった神の祝福を次の50年に伝えるために、新しく出発ができました。 派遣礼拝(写真)は人々の心を捉え、心を突き動かしました。会場内外の声として、「礼拝での賛美が、色彩あふれたハーモニーとサウンドでいっぱい。素晴らしさに感動」。「新緑のICUキャンパス 、 素敵です。浅野教区長の力強いみことば、復活のイエス様を信じ喜び歩もうと励まされ、みことばが深くしみいるようでした」。「次世代を担う子供たちとコンサートに出演。素敵な思い出となりました。50年後、再びバナーを掲げた子供たち世代が百年大会を盛り上げてくれるように、祈ります」。
派遣聖餐礼拝(ICUチャペル)には632名が出席。席上献金は六〇万九千六百九十二円でした。
記念大会実行委員       津川栄一

第12回九州教区信徒大会報告

実行委員長 岩崎國春(大江教会)

4年に一度の九州教区信徒大会は、去る3月19・20日、熊本の九州学院を会場に開催されました。今回で12回を数えます。参加者は、二日間平均約200人超でした。
大会主題は、「全きものとなる私たちの喜び」とし、主題聖句を、ヨハネの手紙第1章3節bといたしました。
主題講演者として、高知の清和女子中・高校長黒田朔先生をお招きし、「牧会お助けマンが語る~素敵なクリスチャンライフ」の演題で、2回に亘り、お話を頂きました。
先生は、「私たちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりであり、この交わりが、私どもを育て守る。基督者は、今、永遠の命を生きている。信仰生活の基本は、選択+決断+覚悟。私たちは、〈自分のシナリオ〉で生きるのではなく、〈神様のシナリオ〉に従って生きることが肝要。この生き方は、人を楽にし、希望と喜びに満ち溢れた素敵なクリスチャンライフを導き出す」と説かれました。
先生は、穏やかな口調で、時にユーモアを交え、聴く者には、清々しく、心を動かす一言一言でした。
大会は、声高らかに神を賛美し、共に聖餐に与った派遣礼拝で終わりました。ルーテル学院中高のハンドベル、平成音楽大学トロンボーンアンサンブル、市内ルーテル教会の音楽グループ「ラウダームス」とファミリーバンド「グレース&フレンズ」による音楽奉仕、熊本県内の教会と施設関係教職者による聖餐式は、大変な恵みと感謝でした。
今回は、信仰の友との交流を深める機会として朝食交流会を設け、熊本の女性会奉仕によるおにぎりと味噌汁が振る舞われました。
大会期間中には、各教会や施設の物品販売が店開きし、東日本大震災復興支援コーナーも設けられ、どちらも盛況でした。
今大会は、2017年の「宗教改革500年の時」を視野にしての開催でした。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

ルーテル教会救援最大の支援プロジェクトである気仙沼市本吉町前浜のコミニュティセンター再建プロジェクトもいよいよ終盤に差しかかってきました。先月3日には、このプロジェクト支援に関わる40近い団体・個人の代表や気仙沼市長をはじめ地元住民の方々が集まり、上棟式が盛大に執り行われました。ルーテル教会救援からは、青田本部長をはじめ「となりびと」のスタッフ全員が参加し、青田本部長が祝辞を述べました。
また、上棟式後の直会(なおらい)では、ルーテル教会救援の支援による袢纏を纏い、大漁唄い込みも披露されました。
今月号では、このプロジェクトのこれまでの経緯を現地スタッフから報告いたします。

現地(前浜)スタッフ     畠山友美子

「できるだけ早い再建を」というのが、震災の年の夏に行ったコミュニティセンター再建に関する2回の住民アンケートの結果でした 。同年9月には全員地域住民である建設委員会を立ち上げ、ルーテル教会救援をはじめとする多くの支援者と地域住民、そして気仙沼市の三者が協力して建設を進めてきました。
「住民参加型の再建」をテーマに、住民参加による住民参加のための 作業小屋づくりやセンターの外壁となる焼き杉作業などのワークショップ(以下WS)を行ってきました。
WSには地域住民以外に、ボランティアさんや他地域の方も参加するなど、こういったWSがまたコミュニティを生んでいることは確かで、本当にありがたく思っています。
5月3日には盛大に上棟式が行われました。これからも壁塗り作業や家具づくりなどのWSも予定されています。その様子は以下のブログを通して皆様にお伝えしていきたいと思いますので是非ご覧ください。
【前浜建設委員会ブログ】
http://ameblo.jp/maehamacommunitycenter/entrylist.html

牧会者ルターに聞く 2 石田順朗

第1章「R」はRでも―リフォーマー・ルターの場合
その二 ・ 定冠詞付き大文字『R』になったのは、

五十八年前、千葉県稔台での開拓伝道を経て福岡は久留米市の由緒あるルーテル教会へ赴任した時のこと。まず、一九一八年ヴォーリズによって建築、奇しくも戦渦を免れたデンマーク風赤レンガ造りの教会堂の偉容には圧倒された。二年ほど開拓村の保育所で集会を行なっていた状況との違い!ところが、間もなく筑後地区諸教派連合の牧師会があり、改革派の流れをくむ教会の牧師から、開口一番「ここはドルの匂いふんぷん、外国依存の教会だ」と揶揄され、思わぬ歓迎に遭った。若輩ながら言い返した、「アメリカだけでなくドイツや北欧、南米のルーテル諸教会と、ルターによる『福音再発見』に基づく『信仰義認』の信条を共有する『福音教会』だ」、それに「日本福音ルーテル教会史上、最初の自給教会だ(一九二九年)」と。今思えば、「基督教香港信義会」やポーランドの「アウグスブルグ信仰告白の福音教会」など数多の姉妹教会のことも言い添えるべきだった。
ルター自身は当初、「精神面と世俗的な状況のごく一般的変革」の必要を訴えたようだ(ルターをワルトブルグ城に匿ったザクセン選定候フリードリッヒの従兄弟ゲオルグ公へ宛てた一五一八年の書簡)。ところが、歴史はその「r」を、特定の大文字「R」にしたのである。
確かにルターの改革はフランス、ロシア革命につぐ中国の文化大革命、さては農業、産業革命など社会体制上の改変を目指す政治的変革とは異なっていた。宗教団体の単なる「機構改革」でもなかった。それは専ら「神 ―人 関係」の百八十度転換であって、正に神を信じ仰ぐこと自体への抜本的な「建て直し(リフォーム)」だった。
「建て直し」といえば今年、伊勢神宮では二十年に一度、出雲大社では六十年ぶりの「大遷宮」が行なわれる。遷宮には、修理を超えて、清浄思想を反映する「全部作り替える」意義が潜むと聞く。ルターは、一五四五年の 『ウィッテンベルク版ラテン語著作全集第一巻への自序』の中で、改革運動の経緯と彼自身の「福音再発見」の �T塔の体験�Uを重ね合わせている。その実態は「悔い改め」であり「信仰によってのみ義とされ、 恵みの神との出会い」、つまり「信仰そのものの一大改革」であった。定冠詞づきRのように、大文字で書き出せない邦語で、「宗教」といった漠然とした形容詞を付せざるをえないのは何としても、もどかしい。
そこで、前号でも言及した岸先生の発言になるが、神学校長に就任後間もなく、東京、お茶の水YWCAにおける「宗教改革記念講演会」でのこと、話も大分進んだ頃、突然大声で「Repent! 悔い改めよ!」と、静まりかえっていた満場の聴衆を震撼させた。その時、私は席を
飛び立つほど身震いしたのをつい先頃のことのように思い起こす。これまた銘記すべき『R』だ。

いしだ よしろう 引退牧師、九州ルーテル学院大学名誉学長 元LWF 神学研究部長

十戒

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

広島県福山市にある西日本福音ルーテル教会の東福山教会には、モーセの十戒の二枚の石板が入ったステンドグラスがあります。
エジプトを脱出して、ヘブライ人たちはシナイ山の麓に着きました。モーセはシナイ山にのぼり、神との契約の基本となる十戒を与えられました。しかし人々は、金の子牛の偶像を祭り上げていたので、モーセは二枚の石板で偶像を打ち砕きました。
この十戒こそ、求道者には必修のものと信じます。『出エジプト記』20章1~17節。『申命記』6章5節。『レビ記』19章18節。
ステンドグラスの中央、十字架には、天より鳩が降っています。主イエス・キリストは「バプテスマのヨハネ」から洗礼をお受けになると、天が開け、聖霊が鳩のように降ったと録されています。『マタイによる福音書』3章16節。
キリスト者も等しくその人の魂に聖霊は鳩のように降り、聖書のみことばを理解させて福音による救いの喜びを持たせてくださいます。
下段には、麦とぶどうのエッチングがあります。主イエス・キリストによる「聖餐」を示しています。
創造主、救い主、そして、聖霊の三位一体の神を私たちは信じます。

広島県福山市にある西日本福音ルーテル教会の東福山教会には、モーセの十戒の二枚の石板が入ったステンドグラスがあります。
エジプトを脱出して、ヘブライ人たちはシナイ山の麓に着きました。モーセはシナイ山にのぼり、神との契約の基本となる十戒を与えられました。しかし人々は、金の子牛の偶像を祭り上げていたので、モーセは二枚の石板で偶像を打ち砕きました。
この十戒こそ、求道者には必修のものと信じます。『出エジプト記』20章1~17節。『申命記』6章5節。『レビ記』19章18節。
ステンドグラスの中央、十字架には、天より鳩が降っています。主イエス・キリストは「バプテスマのヨハネ」から洗礼をお受けになると、天が開け、聖霊が鳩のように降ったと録されています。『マタイによる福音書』3章16節。
キリスト者も等しくその人の魂に聖霊は鳩のように降り、聖書のみことばを理解させて福音による救いの喜びを持たせてくださいます。
下段には、麦とぶどうのエッチングがあります。主イエス・キリストによる「聖餐」を示しています。
創造主、救い主、そして、聖霊の三位一体の神を私たちは信じます。

東海教区2013 わいわいワークin福祉村  齋藤幸二

4月29日祝日、東海教区恒例の「わいわいワークin福祉村」が開催されました。わいわいワークは東海教区がデンマーク牧場で始めた福祉村の働きをワークで支援するプログラムです。
福祉村には現在特別養護老人ホームデイアコニア、児童養護施設まきばの家、自立援助ホームこどもの家。心療内科こひつじ診療所の4施設があります。自然環境に恵まれていますが、職員だけで敷地内を整備するのは困難なので、多人数でなければできない作業をこのわいわいワークで行ってきました。
今年はこどもから高齢の方まで、130名以上の方が参加しました。わいわいワークは教区の信徒の奉仕だけでなく、交わりの場にもなっています。さらにデンマーク牧場福祉会の職員たち、児童養護施設の高校生たちも一緒に働くので、教会員と施設の利用者、職員たちとの出会いの場になっています。
プログラムは10時の開会礼拝から始まり、教区に新たに赴任した教職の紹介、またデンマーク牧場福祉会の職員の紹介が行われました。参加者はみんな作業服姿ですから、ふだんの集会よりもリラックスした、兄弟姉妹としての親しい気持ちで礼拝から終わりまでの時間を過ごすことができます。
ワークの内容は、敷地内の除草、老人ホームの利用者のための傾聴、縫い物、園芸、ペンキぬり、大工仕事などです。お昼休みは1時間半あるので、その間に牧場の売店でアイスクリームやヨーグルトを食べる人もいます。また各教会の福祉村世話人(チーフ・サポーター)は集まって昼食を共にしながら情報交換を行います。
今年も天候に恵まれ、午後3時の閉会の祈りまで、新緑の光がまぶしい自然の中で気持ちの良い汗をかいた一日でした。きっと参加者全員が充実した思いで家路に着いたことと思います。
私たちの教区に、このような交わりの場、出会いの場、奉仕の場が与えられていることをとても嬉しく思います。

ルーテル関係で初
JELAが「エキュメニカル功労」賞を受賞

日本におけるエキュメニカル(教会一致)運動に貢献した団体や個人を顕彰する日本エキュメニカル協会(松山與志雄 理事長、1969年岸千年先生を初代理事長として発足)の「エキュメニカル功労」顕彰式が、4月29日に日本福音ルーテル東京池袋教会で開かれました。
今回19回目となる顕彰で、ルーテル教会関係では初めて、日本福音ルーテル社団(JELA 中川浩之 理事長)が同賞を受賞しました。

JELAは、1909年に在日本アメリカ南部福音ルーテル教会ユナイテッド・シノッド宣教師社団として設立された一般社団法人です。
日本エキュメニカル協会の松山理事長は、JELAの活動について「日本福音ルーテル社団は、キリストの愛をもって世界の助けを必要とする人々に仕え、エキュメニカル運動に多大の貢献をされた」と評しました。
その活動は一般的に知られている宣教師支援事業にとどまらず、カトリック教会や難民・移住労働者問題キリスト教連絡会(難キ連)と共に難民の問題に取り組む難民支援事業、奨学金(給付型)支援、各国へのボランティア・ワークキャンプ活動などがあります。
中でも2006年からスタートした「リラ・プレカリア(祈りのたて琴)」は、エキュメニカルな活動として広がっており、カトリック教会、日本基督教団、日本聖公会、日本バプテスト連盟などと教団・教派を超えた連携関係を培ってきました。

顕彰式では、JELA常務理事の長尾博吉氏(日本福音ルーテル教会引退牧師)が活動報告を行い、キャロル・サック氏(リラ・プレカリア・ディレクター)がハープの演奏とともに祈りを捧げました。会場にはキリス教の諸教派から、約40人が集まり、その受賞を祝福しました。

大森ルーテル教会・幼稚園献堂式

大森教会は、米国のスオミ・シノッド(フィンランド移民のよって設立したミッション・・他に甲府教会があります。)によって立てられた教会です。前の大戦終了から少し出遅れて1952年4月から、エルソン宣教師、サラ・マッコーネン宣教師、N・ルンド宣教師によって、宣教が始まり、1954年に北欧風の教会堂が完成しました。1956年には、ベハネン宣教師の赴任後、その夫人によって二十名程度の幼児から無認可幼稚園として「おさなご園」の活動が始まりました。 福音の種蒔きが教会と幼稚園事業を通して始まり、後に認可幼稚園・「大森ルーテル幼稚園」として出発するとき、1975年に鉄筋コンクリートの園舎を建てました。幼い子どもの心の中に神さまの素晴らしい「愛のみ心」の種を蒔いてきました。
さらに主の福音を伝えるために、福音の証として幼児教育の責任を負うことを教会の伝道とし、伝道60周年を迎えて、教会は、旧館(75年建築)の耐震補強工事と新会堂、新園舎の工事に2012年から取り組み、2013年3月に完成しました。そして、4月28日の献堂式を主と、みなさんとお祝い出来ました。 コンクリート打ちっ放し。中には、54年当時の聖壇、説教台、洗礼盤、聖具、椅子、灯り、75年以降のステンドグラス、十字架などを残して歴史を繋いだ趣のある教会堂、園舎となりました。スオミ・ミッションの香りを残しました。
75年および今回の2回の工事を通して、他からの援助を良しとせずに自力で建築するつもりでした。しかし、工事を知ってくださった数教会、他教会の方々が献金をくださり、私たちの思いを越えて、みなさんと建築完成にまで至ったことは神さまの計らいと感謝しています。
新しく与えられた神の宮の器を大切にしながら、福音伝道を大森の地で責任をもって主と共に担っていきます。これからもみなさんのお祈り、ご支援をお願いいたします。
大森教会牧師 竹田孝一

住所変更

3月に引退された定年教師

渡邉進牧師
〒350ー0844 川越市鴨田2409ー6
049ー277ー4737

田中博二牧師
〒112?0011東京都文京区千石2ー46ー4
03ー6912ー1903(FAX共用)

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